まんてんぼしの かがやき  ~ from Osaka

日々のささやかなひとりごと

新聞紙 今昔 ~ 曽野綾子氏のコラムから考えたこと

昨今のように、24時間いつでもどこでもテレビやネットのニュースで世界の出来事を知ることができるようになっても、私自身は未だに「超」がつくほどの新聞派です。

読書量は以前に比べて減っていますが、元々が実用書好きなので子供関係、仕事関係の雑誌等は毎月それなりの量を読んでいるようにも思います。

けれどもそれにも増して好きなのは、毎日の新聞タイムです。たとえどんなに忙しくて倒れそうな(?)時でも、入院中でも海外に1ヶ月ほど行っていたとしても、新聞だけは捨てないで、全て取っておいてもらいます。

ニュースだけでなく、社説やコラムや読者の投稿なども興味深く読みます。

その中で先日コラムとして作家の曽野綾子さんが、新聞紙の大切さを書かれていて、大変共感を覚えました。

新聞の、ではないのです。新聞紙の、です。

お若い方々には理解されにくいかもしれませんが、新聞というものは大量の情報を与えるツールであると共に、その広い紙面が物的に役立つことも実はいろいろとあるものです。

コラムでの曽野さんの意見はいちいち納得のいくものでしたし、また小さい頃のことを懐かしく思い出しました。

昔、市場でコロッケなどを買うと、お店によっては丁寧に折られた新聞紙で、揚げたてのコロッケを包んで渡されたりしましたが、今の子供さんには想像つかないでしょうね。当時でも私の母などは、あれは本当は不衛生だから、などと教えてくれたものですが、それでも皆ごく普通に買っていました。

食品をじかに包むその善し悪しはさておき、あの大きくて薄い紙は何かと役に立つものなのですが。

丁度この春に、子供の宿泊学習で当日は昼食に各自捨てられる箱などでお弁当持参、というのがありました。要は食べ終わってから洗ったりはしないので、お箸まですべて捨てられる物に、という事らしいです。

暖かい時期だとしても、中学生のしかも学習として行く行事で、なぜそこで全員に各自の洗い物をさせて持ち帰らせないのか、という疑問が、少なくとも私にはありましたが。

帰ってきて、「楽しかった?」と子供に声をかけると、楽しかったのは良かったのですが、実に意外な話をされました。

「お弁当を新聞紙で包んであったのなんか、私だけやったわ。みんなちゃんとスーパーの袋なんかで包んであったよ!恥ずかしくて、お弁当のときカバンから出さずに、見えないようにカバンの中でそっと包みをとってから出したよ。なんでなん?」

まあかなり昭和チックで一見意地悪にも見えなくはないでしょうが、果たしてそうなのかと思います。

十分冷ましてから蓋をしたお弁当であっても、ビニール袋で括ってつつむのと、紙で包むのでは、湿気を逃すという点では後者のほうが若干優れているようにも思いますし、紙なので山間部での学習の一環としても、気兼ねなく捨てやすいものです。

一応その由を説明してみましたが、それでも納得いかない顔でした。

気持ちは良くわかりますが。

昨今の日本ではとかく格好の良さやスマートさが重視されていて、環境を大切にし自然と共生することや、ごく当たり前のものを粗末にしない、大切に使う、使い切るという意識が忘れられがちであるように感じます。

戦時を経験した両親から小さい頃に教わったことは数多くありますが、本当に今の日本ではそういった知識や知恵は必要なくなってしまったのだろうかと、時折考えさせられるのです。